めずらしく、今日は固いテーマで(笑)
昨日、親族から尊厳死にかかる公正証書を作成したいので文面を見て欲しいということでしたが…
さて。ここで、尊厳死とは何か?ですが。
その前提として死とは何か?
難しい問題ですが、ここではシンプルにいきたいので
生きるのを終えること
とさせていただきます。
自分の生き方は自分で決めたいというのが権利というのなら、生きることを終える、その終え方だって自分で決めたいということです。 これは延命治療が発達してきたことにより延命治療を終了してしまえばすぐに死んでしまうような状態でも生きていられる状態が長く続くようになったことを背景としています。それでも「生きている」って言えるの?ってことです。
先ほど私は生きるのを終えることを死としましたが、じゃあ「生きている」って何さ?という問題は残ります。
そして、その答えは私は人それぞれなんだろうと思っています。
生き方を個人個人で決めるんだから、「生きている」の定義も人それぞれ。
そして、延命治療だけで生きているその状態は、もはや自分にとっての「生きている」ではないので、どうか自分の人生を終わらせて欲しいと考える人のために「尊厳死」という考えが発展してきたわけなのです。
現在日本では、厚生省が終末期医療に関するガイドラインを発表しています。
そして、延命治療が施されている段階であれば本人の意思表示ができなくなっていることも大いにあり得るので、本人による意思表示の方法の一つとして公証役場で尊厳死宣言公正証書を作成することになるということになります。私が頼まれたのはこれ。
しかし…現在、本人の意思表示だけで自由に尊厳死が選べるわけではありません。それに公証役場で公正証書をつくれば、その数十年後に来たその時の意思確認は不要としているわけでもないわけで…
ということで、この公正証書は自分の死に関する意思表示の機能もさることながら、自分の命の終え方についてのコンセンサスを親族ととるためのきっかけ作りとしての機能も持っているのかなと思います。 そして、事実、親族とのコンセンサスは非常に重要です。なぜなら、現在のガイドラインではいざその時になって本人が意思表示できない場合、医療従事者が家族に推定的意思を諮ることになっているから。尊厳死に家族が反対していたら、自分の意思をきちんと伝えてくれるか難しい所です。
しかし…それにしても…
うちの親族がこんなの作ろうとしてるとは知らなんだ(まぁ、寝たきりになったら放っておいてくれという人たちではあったので何ら不自然ではなかったが)。私はともかく、他に話してないとなると…いざとなったら私が責められるってことじゃないよ~、ぶうぶう。
ということで、皆さんがそんな公正証書を作成される際は、事前にご家族の中で十分に話し合っておきましょうね (^_^;;)
もしも、このような公正証書を作成されたい方がいらっしゃったら、事前のご家族へのお話への立ち会い説明補助を含めてお引き受けさせていただきますので、ご連絡ください。
注:尊厳死は未だ議論がなされている分野です。尊厳死に反対されている方もいらっしゃいます。私個人としては、尊厳死を選びたいというその人の意思を実現できる方法は確立した方がよいと思っていますが、このテーマは非常に深遠なものであり、それぞれの人生観にも直結する問題なので、これが正解かどうかは正直分かりません。反対する人に対して批判をする意図は全くありませんのでどうかご理解ください。